清荒神 初詣

毎年、家族で初詣に行ってます。たいてい、氏神さまと、大阪天満宮、住吉大社、の三ヶ所です。今年は清荒神(きよしこうじん)さんに行きました。たまには違うところということで。筆者は行った記憶がないので楽しみでした。
上の写真は阪急電車清荒神駅。雲ひとつない青空です。梅田駅から清荒神駅まで行きました。なんとなくですが、JRにはないのどかさがありました。なんなんでしょう。。。駅を出ると市場の大きな看板が迎えてくれます。
清荒神駅 アクセス

阪急の清荒神駅を出て、左手から清荒神市場の端へ入り、そこを抜けると小さな鳥居が。いわゆる第一鳥居でしょうか。御参詣の方が行き来してます。筆者も鳥居をくぐりました。
清荒神 参道

細い車道を挟んで鳥居が二つあり、上の写真は奥にあるものです。第二鳥居?

下の赤い四角が阪急清荒神駅です。黄色が参道です。こういう地図が参道の入口辺りと、参道にも二箇所?ほどありました。曲がりくねっていますが、歩いているとそうは感じませんでした。
清荒神の参道は舗装された緩やかな坂道です。ゆっくりと曲がり、またまっすぐになって、という感じでした。二人で並んで歩いて、降りてくる二人三人と行きかうと、いっぱいかな、という道幅です。もっと広いとこもあります。参道にはいろんなお店で出ています。一般店舗タイプ。アート的な店、お土産物、食べ物屋さんもたくさんありました。そこに露天がちらほら。

上がりきるのに三十分ぐらいです。ところどころ、右手に視界の広がる場所があり、住宅地が見えました。天気が良かったのでとても気持ちよかったです。距離もちょうどいいぐらいです。

参道を上がりきったところは、露天がたくさん出ていました。左手が大駐車場、右手が清荒神さんです。
清荒神 山門

山門正面に「蓬莱山」の扁額が掲げられています。山号の「蓬莱山」は古代中国から信じられてきた仙境の謂であり、山容が仙境にふさわしいところから、開創時よりこの名があります。扁額の文字は、随心院の門跡で名筆と謳われた智満上人晩年の筆です。-以上引用/公式HP-
きれいなお正月飾りで見えませんでしたが、扁額の文字というのはどこも興味深いです。仙境の謂であり、というのは仙人が住んでそうな、俗界を離れたところといったところでしょうか。今では参道が整備されて店もいくつもあって、近隣には住宅地もありますが、建立された当時は単に山の上で、深山幽谷だったのでしょうね。
親しみがあるので、ふだんは考えませんが、山の下から上まで木材からなにから運んで造ったわけです。ちなみに開山は寛永八年(八九六)です。それから二度、戦火により焼失。その度に復興して現在に至っています。その間、法燈は消えることはなかったといいますから、千数百年以上、一度も絶やしたことがないということです。理念とか理想が見事にカタチになってるというのは凄いですね。昔の人はエライなぁと思ってしまいます。そういうところに自由に出入りできるのはしあわせです。
清荒神 境内

拝殿と眷属堂
初詣なので人で賑わっていました。しかし押し合いへし合いというところまでではありません。ほどよい感じの人混み? 左の建物が眷属堂(けんぞくどう)です。御祈祷の受付、三宝荒神王御尊影、御守、厄除開運火箸などを授与するところです。この右手に拝殿があります。そこに並んでいるときに撮影したものです。清澄な空気の漂う中、十五分ぐらいでお参りできました。三が日を外したおかげでしょうか。
清荒神 境内マップ

拝殿と眷属堂の図です。階段を上らずに山門からまっすぐ行くと本堂です。拝殿には三宝荒神王、本堂には大日如来が祀られています。いわゆる本尊ですね。 三宝荒神王 は十二神将みたいな位置でしょうか?

拝殿でお参りを済ませて、案内図通りに、左から境内をまわりました。
清荒神 ご利益
ちなみにご利益は家内安全、商売繁盛、厄除開運などで、現世利益、つまり今を生きている人に対していいことありますよ、ということです。あの世へ行ってからという話ではなくて。民衆信仰の神様だからですね。あと、金運の神様という噂もあるようです。
清荒神影向(ようごう)の榊

拝殿の背後に清荒神影向の榊があります。ちょうど逆光が差していて、後光のよう?
こちらの榊の木の辺りに荒神様がお姿を現されました。宇多天皇は、それを聞いて大変感銘され、「日本第一清荒神」の称号を下賜されました。-以上引用/公式HP
清荒神のお守り?

この写真の女性のように備えつけの木の棒で砂を掻いて、埋もれているお賽銭(五円が多いようです)を探しだす人が集まっています。探し当てたお賽銭を紙に包んで財布に入れておくと小銭に不自由せず、かつ「お守り」代わりにもなるようです。持っているだけでよい事があるといわれています。 次回の参拝時にお賽銭を倍にして返します。持ちつ持たれつということですね。
なかなか見つからないようでしたが、上の女性はあっという間に見つけて喜んでいました。
三宝荒神王 は火の神様

役行者の祠

影向の榊から拝殿をぐるっとまわりこんで出ると、火箸の奉納所があり、役行者の祠があります。
三宝荒神王 は火の神様です。火箸は厄(火魔)を挟み除く、という御利益があります。古来より厄年には無病息災と開運を願い、火箸を授かり家庭の荒神棚、または自室にお祀りし、厄が明け御礼参りする際には、新しい火箸を添えて奉納します。そこから台所の神様になったわけですね。上の写真はこれでもかと積まれた火箸です。下の写真は役行者の祠。
本堂(大日如来)

役行者(えんのぎょうじゃ)を祀った祠のところを左に行くと階段。降りると本堂に着きます。本堂の辺りはかなり参拝者が並んでいて、人も多かった。香炉も煙がもうもうでした。少し離れたところで手だけあわせました。
一願地蔵尊

一願成就の不動尊があったので並んでお参りしました。金銅製。背は足元から頭まで3メートルぐらいでしょうか。頭にまで水を掛けて願いをひとつ念じれば叶うと言われています。明治24年に建立。
前にいた人が柄杓で水をかけようとして、仏様にうまくかけられずに自分に掛けていました。柄杓で自分より高いところにある仏様に水を掛けるのは意外に難しいです。筆者もさすがに自分には掛けませんでしたが、仏様の膝辺りまでしか届きませんでした。ちょっとコツがいりそうです。いったんカメラをバッグに入れてから、足元にでも置けば、身軽になってましだったかも。
お釈迦様の足型


境内の右端(案内図の右上)から鉄斎美術館へ向かいました。美術館の前は土産物屋さんと自販機。お正月なので美術館は休み。祀っているのがお釈迦様の足型というめずらしい祠があります。
龍王滝

そこを更に右に進むと龍王滝があります。すぐ隣ともいえるところに不動明王が鎮座(写真左上)しています。その手前まで行ける道の奥には十三重の供養等があります。熱心に手を合わせている方がいらしたので、なにか霊験あらたかなのでしょう。
筆者も賽銭を入れて手を合わせて、道の奥にある供養等にも手を合わせてあとにしました。
神仏習合の地


清荒神は荒神信仰の総本山でありながら、重要文化財に指定されている大日如来から七福神の布袋様にびんずる様、お釈迦様の足型、と神仏習合の見本 というか、民衆信仰を真っ向から受けとめた感がありました。筆者もとても充実した時間を過ごせました。
清荒神 明石焼き

山門を出てすぐのところに露天がいくつもあります。その中に大きな明石焼きの店が出ています。ここに来たら必ず食べるというので食べました。山の上で明石焼きを食べたのは初めてです。おいしかったです。テイクアウトのお客さんもちらほら。わざわざこれを買うためだけに上がってくる人もいるようです。写真は理由があって(撮ってなかったw)ベビーカステラの露天。
あとがき
宝塚の記事が三つ続いたことになります。宝塚歌劇も、清荒神も、宝塚市展も、ほんとに市民というか、一般民を大事にする土地柄のようですね。サービス精神旺盛です。数日、筆者もとても心地良かったです。清荒神は町自体がどこかのんびりしてて癒されました。
露天で少し食べて、参道をまたてくてくと降りました。駅の手前にギャラリーがあったので入りました。黒田ひろし パリ油彩画展「パレットの詩」。パリの風景画と少しだけ人物画もありました。画家本人が在廊されていました。この方がこれらきれいな作品を手がけたのかと思うとちょっと不思議な感じでした。描かれた方がそこにいるというのはあまりないものです。
もうすぐバレンタインです。日本では女性から男性へ渡すことになっています。男性から女性は一月後のホワイトデーです。中国やタイでは男性からバラの花を贈るようです。韓国は日本と同じですが、ブラックデーというのが四月にあり、チョコをもらえなかった男性が集まって黒いものを食べるそうです。国によっていろいろ違いがあるもんですね。でも同じ時期に同じようなことをしているのは不思議です。